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母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章のタイトル画像

生まれたての赤子を抱いて、母としての私もまた生まれたてのような心もとなさ。生活はがらっと赤ちゃん一色に変わったけれど、心がついていかない。そんなときに出会った、自分を取り戻すヒント。


桜の咲く頃、無事に女の子を出産した。

出産時にかかった時間的には順調だったが、
赤子が大きめだったので
文字通り息も絶え絶え、な出産だった。

出産、そして産後のダメージ

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像1

出産自体も大変だったけれど、
想像以上だったのは産後の体のつらさ。

「出産は、全治2ヶ月の交通事故に
あったレベルのダメージ」


という喩えを聞いたことがあったが、
交通事故にあったことはない私でも
こういうことかと
納得せざるを得ないつらさだった。

子宮の収縮でお腹が痛かったり、
慣れない授乳で胸が痛かったり。

骨盤がゆるんでいて腰も痛いのに、
赤子は昼夜問わず抱っこ
(しかも立って歩かないとだめ)を
求めてくる。出血も続く。

産後の母親が
つらい気持ちになりやすいのは
ホルモンバランスが急激に変化するためだとか、
慣れない赤ちゃんの世話で
寝不足だからだとか聞くけれど、

仮にそれらがなかったとしても、
単純にあれだけの身体的ダメージを食らって
1ヶ月出歩けない状況になったら、
それだけでじゅうぶん
鬱々とするんじゃないかと思った。

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像2


そして、産んだその日から
(つまり身体的ダメージがMAXの日から)
自分の横には赤子がいる


生まれたての赤子は
乳を飲むのも排泄をするのさえも
ぎこちなくて、
ちょっとした手違いで
死んでしまうんじゃないかと
不安で目が離せない。

寝ている赤子が息をしているか
確認するという話を聞いて、
産む前は大げさだよと思っていたけど、
産後ほんとうに頻繁に
確認せずにはいられなかった。

私は実家に里帰りしていたので、
母が身の回りの世話をしてくれて
生活の上での不自由はなく、
話し相手にもなってくれた。

それでもなお、
自分史上最長の体調不良と、
自宅軟禁状態と、か弱い赤子に感じる不安、
そうした状況が重なって、

今振り返ると、
見えないエアバッグに
ゆるやかに圧迫されているような
重たさがあった



母としての実感が湧かない

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像3

そして、出産したにもかかわらず、
自分自身に「母になった」という実感が
いまいち湧いてこない。

赤ちゃんは、かわいい。
とっても、かわいい。

だけどそれと同じくらい、
もしくはそれ以上に、
死なないだろうかという不安を
感じさせる存在
でもある。


赤子が泣けば、
すぐにおむつを替えたり授乳したり、
抱っこしてあやしたり、
最善を尽くした。

自分にしてはかなりまじめに
取り組んだと思うが、それは

「こんな私が母親で、申し訳ない」

という、子どもに対する
うしろめたさを
少しでも紛らわせるためでもあった。


好きな歌を歌ってみた

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像4


出産して、必死に世話もしているが、
それだけではどうも自分が
「お母さん」になれているか
自信がなかった。

赤子がぎゃんぎゃん泣くので
落ち着いてほしくて子守唄を歌ってみるが、
私は子守唄を1曲しか知らない。(歌詞もうろ覚え)

しかも、ぎゃん泣きのさなかでは、
ゆったりした子守唄なんて
かき消されてしまって
まったく赤子に届いていないようなので、
歌う気力もすぐに尽きてしまう。

そんなことを数週間続けて、
ついに効き目のない子守唄に嫌気がさした。


私はYoutubeを流し、
好きな映画のサントラ、
ミュージカルの曲、
カラオケの十八番のJ-popなどを
思いつくままにかけながら、
ぎゃん泣きに対抗する気持ちで大声で歌い、
抱っこしたまま歩いたり、
くるくる回ったりした。

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像5


結論から言うと、
泣き止むかどうかという点において、
子守唄だろうとにぎやかな音楽だろうと、
選曲による違いは見られなかった。

私が何を歌っていようと
歌っていなかろうと、
赤子は泣きたいだけ泣いて、
永遠に泣いているのかと思った頃
なんとなく眠る。

それならば、もう
私の趣味でやらせていただこう
と思った。

少なくとも、
自分の好きな歌を歌って
それに合わせて揺すっているあいだは、
いつもより抱っこを軽く感じたのだ。
(ディズニーソングが多めだったのは、
私なりのささやかな配慮)

帰ってきた夫は
泣き声と熱唱との
あまりのやかましさに
驚いていたけれど、

夫の好きな曲をかけたら、
振り付きで赤子に向かって
パフォーマンスしてくれた。

赤子はなかなか泣き止まなかったけど、
それはそれとして、とても楽しかった


私まで踊ってしまい
体調が悪化したけれど、
気分は爽快だった。


「自分に立ちもどれる場所」

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像6


出産以来、久しぶりに
自分の好きな音楽をかけた翌日、
facebookで
「コノビーサロン2期生募集」の
記事を目にした。

「自分に立ちもどれる場所」
というキャッチコピーを見て、
はっとした。

昨日の爽快感の理由はこれだ、と
理解したのだ。

子どもが生まれてから、
子守歌や童謡やクラシックばかり
歌ったり流したりしていた。

母親としての自分に自信がないから、
形から入ってなんとか「母っぽさ」を
取り繕おうとしていたけど、
全然自分に馴染みがないから
どうしても無理があった。

自分の好きな歌を歌っていたほうが、
少なくともいつもより抱っこを
楽に感じられたわけで、
それはこの「自分に立ちもどる」
ということなのではないか。

この直感をもっと確かなものにしたくて、
私はサロンに応募することを決めた。

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像7


その時、私は産後3週目。

始まったばかりの育児にもまだまだ慣れず、
応募のための簡単なアンケートに
答えるだけでも、
赤子の寝ているすきに
少しずつ書いたため数日を要した。

サロンが始まるのは1ヶ月後。

そのころ果たして
赤子を連れて外出できる状況なのかどうか
全く想像がつかなかったが、
それでも、出産後の自分のスケジュールが
まっしろなことが
先の見えない不安に
拍車をかけているような気がして、

1ヶ月後という近い未来にひとつ、
楽しみにできる予定を入れたかった。

数日後、サロン2期生として
参加できるというメールを受け取った。

産後、生活のすべてが赤子最優先になり、
身体も思うように調子が出ない。

毎日、来た球を打ち返すがごとく、
必死にその都度対処するだけだった。

そんな私にとって
コノビーサロンへの参加は、
産後はじめて、
能動的に踏み出した一歩
なのだ。






▶次回、 6/27(水)更新の第5章は…

踏み出した一歩先で、
わたしはある大切なことに気がつきます。
次回、ついに最終章。




1章はこちらから読めます。

本文にでてきた、コノビーサロンの記事こちら。

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章の画像8

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この記事を書いた人
菅原那由多の画像
菅原那由多

「私は、私のままで、母になりたい…。」

はじめての妊娠、出産、そして、母になったわたしには、
「一般的な母親像」との葛藤がたくさん待っていた。
誰でも...

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